第十五章だいじゅうごしょう 高度成長期こうどせいちょうき

 1951(昭和しょうわ26)ねんサンフランシスコ講和会議さんふらんしすここうわかいぎもとづく条約締結じょうやくていけつにより戦後処理せんごしょり一応いちおうえた日本にほんは、その、(神武景気じんむけいき)にはじまる高度経済成長こうどけいざいせいちょうげ、国民生活こくみんせいかつおおきく変貌へんぼうする。本章ほんしょうあつかうのは、1973(昭和しょうわ48)ねんオイルショックおいるしょっくまでとされるこの高度成長期こうどせいちょうき文化ぶんかである。

 この時代じだいひとつの特徴とくちょうとして若者文化わかものぶんか台頭たいとうげることができる。もちろん、それまでも若者わかもの独自どくじ行動こうどう生活様式せいかつようしきはあったが、それが社会しゃかいうごきとして認知にんちされるようになったのである。それを端的たんてきしめすのが、〈太陽族たいようぞく〉の登場とうじょうであろう。〈太陽族たいようぞく〉とは、1956ねん公開こうかいされた映画えいが太陽たいよう季節きせつ」(石原慎太郎いしはらしんたろう同名小説どうめいしょうせつ原作げんさく)に影響えいきょうけ、無軌道むきどう頽廃的たいはいてき行動こうどうった若者達わかものたちである。

第一節だいいっせつ 映画えいが

 この〈太陽族たいようぞく〉のれいしめすとおり、この時代じだいのメディアとして、まずおおきな影響力えいきょうりょくったのが、映画えいがであった。19世紀末せいきまつ日本にほん移植いしょくされ、サイレント映画えいが時代じだいて、1930年代ねんだい最初さいしょ全盛期ぜんせいきむかえた映画産業えいがさんぎょうは、戦争せんそうによりおおきな打撃だげきける。だが、1950年代ねんだいはいって本格的ほんかくてき復活ふっかつげ、映画史えいがしのこ監督かんとく俳優はいゆうがその才能さいのう開花かいかさせるのである。

(一)国際的評価こくさいてきひょうか

 この時代じだい国際的評価こくさいてきひょうかけた日本人映画監督にほんじんえいがかんとくとしてげなければならないのは、やはり黒澤明くろさわあきら(1910-98)であろう。

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学習がくしゅうポイント

  1. 高度経済成長期こうどけいざいせいちょうき大衆文化たいしゅうぶんか
  2. 若者わかもののメディア文化ぶんか

 1943ねんに「姿三四郎すがたさんしろう」で監督かんとくデビューした黒澤くろさわは、1951ねんの「羅生門らしょうもん」で、対立たいりつする複数ふくすう視点してんから事件じけんあつか新鮮しんせんさなどが評価ひょうかされて、1951ねんのヴェネツィア国際映画祭こくさいえいがさいでグランプリを受賞じゅしょうする。これは黒澤くろさわ日本映画にほんえいが世界せかいらしめるきっかけとなった(おも原作げんさく芥川龍之介あくたがわりゅうのすけの「やぶなか」)。主演しゅえん黒澤くろさわ見出みいだされて名優めいゆうとなった三船敏郎みふねとしろう(1920-97)である。つづいて1954ねんにヴェネツィア国際映画祭こくさいえいがさい出品しゅっぴんした「七人しちにんさむらい」が銀獅子賞ぎんししじょう受賞じゅしょうし、「荒野こうや七人しちにん」(アメリカの西部劇せいぶげき)をはじめ、おおくの追随作品ついずいさくひんすことになる。黒澤映画くろさわえいがは、「地獄じごく黙示録もくしろく」のフランシス・コッポラ(Francis Ford Coppola)、「スターウォーズ」のジョージ・ルーカス(George Walton Lucas Jr)などにも影響えいきょうあたえている。ほかにも、「東京物語とうきょうものがたり」の小津安二郎おづやすじろう(1903-63)、「雨月物語うげつものがたり」の溝口健二みぞぐちけんじ(1898-1956)、「浮雲うきぐも」の成瀬巳喜男なるせみきお(1905-69)など、この時期じきには世界的評価せかいてきひょうか監督かんとくすくなくない。

(二)映画えいがスター

 日本映画にほんえいが黄金期おうごんきわれるこの時代じだいには、スターとぶにふさわしい男優だんゆう女優じょゆうおお輩出はいしゅつした。そのかずはあまりにおおいが、いま映画えいがファンのこころのこ俳優はいゆうげるとすれば、男優だんゆうでは三船敏郎みふねとしろう石原裕次郎いしはらゆうじろう(1934-87)、女優じょゆうでは原節子はらせつこ(1920-)と吉永小百合よしながさゆり(1945-)が筆頭ひっとうとなるだろう。三船敏郎みふねとしろううえでもれたとおり、黒澤作品くろさわさくひん起用きようされ、〈世界せかいのミフネ〉とばれた。また、「太陽たいよう季節きせつ」でデビュー、「あらしおとこ」などで人気にんき確立かくりつした石原裕次郎いしはらゆうじろうは、その、テレビなどでも活躍かつやくし、まさに昭和しょうわおおスターであった。一方いっぽう原節子はらせつこ小津安二郎おづやすじろうんだ映画えいがなどでたか人気にんきながら、わかくして引退いんたい

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たため、伝説でんせつ女優じょゆうばれている。

 1960年代ねんだい日活にっかつからデビューした吉永小百合よしながさゆりは〈サユリスト〉とばれるファンをいまおおつ、日本にほん代表だいひょうする女優じょゆうである。

 もうひとつ、この時代じだい特質とくしつとして特撮怪獣映画とくさつかいじゅうえいがげることができる。1954ねんの「ゴジラ」のヒットにより人気にんきあつめて多数たすう作品さくひん制作せいさくされ、日本映画にほんえいがひとジャンルをめるまでに成長せいちょうした。しかし、1960年代ねんだい後半こうはんになると、テレビの普及ふきゅうにより退潮たいちょう傾向けいこうはじめる。そして、1990年代ねんだい回復かいふくきざしがえるまで日本映画にほんえいが退潮たいちょうつづけることになるのだが、そんななか根強ねづよ人気にんきたもったのが、松竹しょうちくの「おとこはつらいよ」シリーズであった。そそっかしいが人情にんじょうあつい〈フーテンのとら〉を主人公しゅじんこうにしたこの人情にんじょうコメディは、1969ねんから1995ねんまで48さく製作せいさくされ、国民的こくみんてき人気にんきはくした。

第二節だいにせつ テレビ

 1960年代ねんだいはいってラジオ(1925ねん放送開始ほうそうかいし)、そして、映画えいがわって娯楽ごらく中心ちゅうしんめるようになったのがテレビである。日本にほんのテレビ放送ほうそうは1953ねんはじまるが、受像機じゅぞうき高価こうか一般いっぱんにはなかなか普及ふきゅうせず、人々ひとびと街頭がいとうテレビでプロレスやボクシングに熱中ねっちゅうした。しかし、1959ねんの〈皇太子こうたいし成婚せいこん〉の中継ちゅうけいをきっかけに普及ふきゅうすすみ、東京とうきょうオリンピックをてカラーテレビが〈新三種しんさんしゅ神器じんぎ〉とばれるようになる。当時とうじから〈一億総白痴化いちおくそうはくちか〉などのテレビ批判ひはんがあったが、それを余所よそにテレビは人々ひとびと生活せいかつふか浸透しんとうしていくのである。テレビ番組ばんぐみには様々さまざまあるが、ここでは人々ひとびと手軽てがる娯楽ごらく提供ていきょうしたドラマとバラエティーをげておきたい。

 ドラマは1953ねん放送開始ほうそうかいし前にNHKが「夕餉前ゆうげまえ」(1940)を実験放送じっけんほうそうしている。本放送開始後ほんほうそうかいしご最初さいしょのドラマは「山路さんろふえ」とされる。「夕餉前ゆうげまえ」はむすめ縁談えんだん中心ちゅうしんとしたホームドラマ、「山路さんろふえ」は農夫のうふつまになった天女てんにょ悲恋ひれんえがいたものだという。放送開始ほうそうかいし当初とうしょ録画ろくが手段しゅだんがな

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いため、1958ねんにVTRが使用しようされるようになるまですべ生放送なまほうそうであった。この時代じだいのドラマはその内容ないようからホームドラマ、社会派しゃかいはドラマ、アクションドラマ、青春せいしゅんドラマ、時代劇じだいげきけられる。

ホームドラマ ホームドラマとは家族かぞくをテーマにしたドラマである。このしゅのドラマは数多かずおお制作せいさくされているが、この時代じだいのヒットさくとして「七人しちにんまご」(1964-66)、「きもたまかあさん」(1968-72)、「時間じかんですよ」(1970-73)をげておく。「七人しちにんまご」は国民的こくみんてきなコメディアンであり俳優はいゆうであった森繁久彌もりしげひさや(1913-2009)を祖父そふとする大家族だいかぞくえがいた作品さくひんで、脚本家きゃくほんか向田邦子むこうだくにこ(1929-81)の出世作しゅっせさくになった。「きもたまかあさん」はあかるくしっかりもの母親ははおや父親不在ちちおやふざい家族かぞくささえていくドラマである。また、「時間じかんですよ」は銭湯せんとう舞台ぶたいにしたコメディドラマで、ストーリーとは関係かんけいのないギャグがりばめられた。平成へいせい以降いこうのドラマにもつうじる異色作いしょくさくだった。だい6さく「おはなはん」以来いらい女性じょせい一代記物いちだいきものというコンセプトを確立かくりつしたNHKの〈あさ連続れんぞくテレビ小説しょうせつ〉も、ホームドラマという性格せいかくつよい。

社会派しゃかいはドラマ 当時とうじ、すでに文化的ぶんかてき価値かちみとめられていた映画えいが演劇えんげきくらべ、テレビドラマは低俗ていぞくなものとかんがえられがちであった。それゆえ、テレビドラマは独自どくじ可能性かのうせい模索もさくすることになる。そのひとつの方向性ほうこうせい社会派しゃかいはドラマであった。1958ねん芸術祭賞げいじゅつさいしょう文化庁ぶんかちょう主催しゅさい)を受賞じゅしょうした「わたしかいになりたい」は、戦犯せんぱん冤罪えんざいあつかった作品さくひんである。翌年よくねんには政界せいかい金融界きんゆうかい癒着ゆちゃくえがいた「いろはにほへと」が受賞じゅしょうしている。この系譜けいふ弁護士べんごし主人公しゅじんこうとし、社会問題しゃかいもんだいをテーマとした「判決はんけつ」(1962-66)や「しろ巨塔きょとう」(1967)などにがれた。「しろ巨塔きょとう」はその度々たびたびリメイクされ、好評こうひょうはくしている。

アクションドラマ(刑事けいじドラマ) 21世紀せいきはいっても刑事けいじドラマは根強ねづよ人気にんきほこり、様々さまざまなバリエーションをしているが、この時期じき刑事けいじドラマはアクションをりにした長寿番組ちょうじゅばんぐみおおい。「特別機動捜査班とくべつきどうそうさはん」(1961-77)は国産初こくさんはつの1時間じかん連続れんぞくドラマとしてスタート、15年半ねんはんにわたって放送ほうそうされつづけた刑事けいじドラマである(現実げんじつ機動捜査きどうそうさ

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たい警察けいさつ設置せっちされるきっかけになったともわれている)。これにつづいて警備員けいびいんたちの活躍かつやくえがいた「ザ・ガードマン」(1965-71)、スパイアクションものの「キイハンター」(1968-73)が製作せいさくされ、70年代ねんだいはいって刑事けいじドラマの金字塔きんじとうともわれる「太陽たいようにほえろ」(1972-86)がはじまる。刑事けいじたちの個性こせい前面ぜんめんし、新任しんにん刑事けいじ成長せいちょう視点してんいた「太陽たいようにほえろ」は若者層わかものそうなが支持しじされた。

青春せいしゅんドラマ 「太陽たいようにほえろ」のプロデューサー岡田晋吉おかだひろきちは「太陽たいようにほえろ」を青春せいしゅんドラマのつもりでつくったとべているが、この時期じきには青少年せいしょうねんをターゲットとした青春学園せいしゅんがくえんシリーズがつくられる。そのだい1さくとなったのがラグビーをつうじて生徒せいとこころかよわせていく青年せいねん教師きょうしえがいた「これが青春せいしゅんだ」(1965-66)である。このパターンは青春学園せいしゅんがくえんシリーズだい7だん「われら青春せいしゅん!」(1974)までがれた。また、だい6だんせ!青春せいしゅん」の主題歌しゅだいか太陽たいようがくれた季節きせつ」がミリオンセラーとなるなど、他分野たぶんやにも影響えいきょうあたえた。青春物せいしゅんものとしては、ほかにスポこんドラマの先駆さきがけとなった「柔道一直線じゅうどういっちょくせん」(1969-71)、「サインはV」(1969-70)、少女漫画しょうじょまんが原作げんさくとする「おれはおとこだ!」(1971-72)などが人気にんきんだ。

時代劇じだいげき 時代劇じだいげきとは、江戸時代えどじだい以前いぜん舞台ぶたいとしたドラマで正義せいぎあくたお勧善懲悪かんぜんちょうあくものがおおいが、年配層ねんぱいそう中心ちゅうしん根強ねづよ人気にんきほこる。テレビドラマとしてはじめて放送ほうそうされたのは「半七捕物帳はんしちとりものちょう」(1953)とされている。〈偉大いだいなるマンネリ〉とわれるナショナル劇場げきじょうげんパナソニックドラマシアター)の「水戸黄門みとこうもん」の放送開始ほうそうかいしは1969ねんで、2010ねん2がつ現在げんざいだい41放映中ほうえいちゅうである。〈大河たいがドラマ〉(NHKの時代劇じだいげきシリーズ)は、だい2さくの「赤穂浪士あこうろうし」(1964)で国民的こくみんてき人気にんき以来いらい複数作ふくすうさく多少たしょうしずみはあるものの、日曜にちようよるかせないテレビ番組ばんぐみとなっている。

バラエティー この時代じだいのバラエティー番組ばんぐみかたとき、まずげなければならないのは「おとなの漫画まんが」(1959-64)、「シャボンだまホリデー」(1961-72)で人気にんきたコミック・バンド、クレージーキャッツである。かれらは映画えいが音楽おんがく世界せかいでも活躍かつやくした。このコミックバンド人気にんきいだのがザ・ドリフターズである。かれらの「8だよ!

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全員集合ぜんいんしゅうごう」(1969-85)は、その驚異的きょういてき視聴率しちょうりつにより怪物番組かいぶつばんぐみばれた。また、いま継続中けいぞくちゅうの「笑点しょうてん」(1969-)、落語家らくごかによる演芸えんげいバラエティーがはじまったのもこの時代じだいである。

第三節だいさんせつ 歌謡曲かようきょく

 この時代じだい歌謡曲かようきょくは、その起点きてんを〈紅白歌合戦こうはくうたがっせん〉にくと、わかりやすい。〈紅白歌合戦こうはくうたがっせん〉の前身ぜんしんは1945ねん大晦日おおみそかにラジオ放送ほうそうされた〈紅白音楽試合こうはくおんがくじあい〉で、企画きかく段階だんかいでは〈紅白歌合戦こうはくうたがっせん〉という名称めいしょうだったが、GHQから〈合戦かっせん〉にクレームがつき、〈試合じあい〉に変更へんこうされる。現行げんこうの〈紅白歌合戦こうはくうたがっせん〉がはじまったのは1951ねん。1953ねんからはテレビ放送ほうそう開始かいしされた。視聴率しちょうりつ調査ちょうさ開始かいしされただい13かい(1962)から36かい(1985)まで軒並のきならみ60%ちょう記録きろくし、とくに14かいは81.4%であった。広義こうぎ歌謡曲かようきょく一言ひとことうなら、歌詞かしともな大衆音楽たいしゅうおんがくであるが、この時代じだいの〈紅白こうはく〉はまさに大衆音楽たいしゅうおんがく代表だいひょうしていたということができる。

演歌えんか 日本的にほんてき人情にんじょう男女だんじょ恋模様こいもよう小節こぶしかせてうた歌謡曲かようきょくという意味いみ演歌えんかという言葉ことば使つかわれるようになったのは意外いがいあたらしく、1960年代ねんだい後半こうはんからである。演歌えんか代表だいひょうする美空みそらひばりの活躍かつやくは「かなしき口笛くちぶえ」(1949)の主演しゅえん、そして、主題歌しゅだいかのヒットにはじまっている。その美空みそらひばりは「リンゴ追分おいわけ」(1952)、「やわら」(1964)、「かなしいさけ」(1966)などをおおヒットさせ、〈歌謡界かようかい女王じょおう〉としょうされた。高度経済成長こうどけいざいせいちょうはじまり、農村のうそんから都会とかい労働者ろうどうしゃ急増きゅうぞうした1950年代ねんだいには〈望郷演歌ぼうきょうえんか〉とばれる春日八郎かすがはちろう(1924-91)のうたなどが人々ひとびとこころをつかんだ。そして、1960年代ねんだいにはみやこはるみ(1948-)、水前寺清子すいぜんじきよこ(1945-)、北島三郎きたじまさぶろう(1936-)、森進一もりしんいち(1947-)、1970年代ねんだい前半ぜんはんには五木いつきひろし(1948-)、八代亜紀やしろあき(1950-)など、いま芸能活動げいのうかつどうつづける演歌界えんかかいのビッグネームがデビューをたしている。

ムード歌謡かよう 1950年代ねんだいには上記じょうき望郷演歌ぼうきょうえんか流行りゅうこうする一方いっぽうで、ハワイアンやジャズを下地したじとした都会的とかいてきなムード歌謡かようが、1ジャンルを形成けいせい

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た。低音ていおん魅力みりょくられるフランク永井ながい(1932-2008)の「有楽町ゆうらくちょういましょう」(1957)、松尾和子まつおかずこ(1935-92)が〈和田弘わだひろしとマヒナスターズ〉とんだ「だれよりもきみあいす」(1959)などが代表的だいひょうてき作品さくひんである。映画えいがこうあつかった石原裕次郎いしはらゆうじろうもムード歌謡かよう得意とくいとし、ヒットきょくしている。

和製わせいポップス 戦後せんご日本にほん歌謡界かようかいではジャズ・ハワイアンだけでなく、マンボ・ブギウギ・シャンソン・ロカビリーなど、様々さまざま西洋音楽せいようおんがく要素ようそ受容じゅようされた。そうしたなかで1960年代ねんだいになってあらわれたのが、日本人にほんじんによってつくられた洋楽ようがく和製わせいポップスである。1961ねんには、アメリカでもヒットした坂本九さかもときゅう(1941-85)の「うえいてあるこう」が発売はつばいされ、双子ふたごデュオ、ザ・ピーナッツの「こいのバカンス」(1964)などもヒットした。このながれは、つぎべるGSブームと呼応こおうしながら、1970年代ねんだい沢田研二さわだけんじ(1948-)・布施明ふせあきら(1947-)らの活躍かつやくにつながっていく。

GSブーム ビートルズの日本公演にほんこうえんは1966ねんだが、このビートルズやローリング・ストーンズの影響えいきょうもあって、1960年代ねんだい後半こうはん、GS(グループサウンズ)ブームがこる。とくにザ・タイガースとザ・テンプターズは、沢田研二さわだけんじ萩原健一はぎわらけんいち(1950-)のスターせい、エレキギターや長髪ちょうはつ反社会性はんしゃかいせい若者層わかものそう魅惑みわくし、絶大ぜつだい人気にんきほこった。

フォークブーム その反社会性はんしゃかいせいにより若者わかもの支持しじたという意味いみではフォークソングも同様どうようである。マイク眞木まき(1944-)、小室等こむろひとし(1943-)、いつつのあか風船ふうせん、フォーク・クルセダーズなどの活動かつどうつうじて若者わかもの定着ていちゃくしつつあったフォークは、岡林信康おかばやしのぶやす(1946-)、高石友也たかいしともや(1941-)などのプロテストソング(抗議こうぎうた)により反戦活動はんせんかつどう学生運動がくせいうんどう連動れんどうして若者わかものから熱狂的ねっきょうてき支持しじける。だが、岡林おかばやし高石たかいし活動かつどう休止きゅうしし、70ねん安保闘争あんぼとうそう終結しゅうけつすると、メッセージせいつよ反体制はんたいせいフォークではなく、若者わかもの私的してき感性かんせい共有きょうゆうする叙情じょじょうフォークの時代じだいになる。吉田拓郎よしだたくろう(1946-、「結婚けっこんしようよ(1972)」)、井上陽水いのうえようすい(1948-、「こころもよう(1973)」)、かぐやひめ(「神田川かんだがわ(1973)」)が商業しょうぎょうベースにってだいヒットをすのである。そして、このながれは

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1970年代後半ねんだいこうはんのニューミュージックへとがれていく。

アイドル歌謡かよう 『日本流行歌変遷史にほんりゅうこうかへんせんし』によれば、若者わかもの嗜好しこう歌謡曲かようきょく反映はんえいするようになったのは「うえいてあるこう」あたりからだというが、それはアイドルの登場とうじょうかさなりう。1960年代ねんだい前半ぜんはん青春歌謡せいしゅんかようをヒットさせた舟木一夫ふなきかずお(1944-)らが〈御三家ごさんけ〉とばれ、圧倒的あっとうてき人気にんき時期じきである。つづいて、1971ねんには〈三人娘さんにんむすめ〉とばれた天地真理あまちまり(1951-)・南沙織みなみさおり(1954-)・小柳こやなぎルミ子(1952-)がデビューして人気にんきあつめる。なかでも天地真理あまちまりは、アイドルの元祖がんそとしてかたられることがおおい。さらに〈新御三家しんごさんけ〉(西城秀樹さいじょうひでき野口五郎のぐちごろうごうひろみ)がほぼ同時期どうじき爆発的ばくはつてき人気にんき山口百恵やまぐちももえ(1959-)をはじめ、おおくのアイドルを輩出はいしゅつした視聴者しちょうしゃ参加型さんかがたオーディション番組ばんぐみ「スター誕生たんじょう」も、1971ねんにスタートした。1980年代ねんだい絶頂ぜっちょうむかえるアイドルブームはここからはじまったのである。

第四節だいよんせつ 漫画まんが・アニメ・特撮とくさつ

 昭和しょうわ中期ちゅうき大衆文化たいしゅうぶんかのターゲットが急速きゅうそく低年齢化ていねんれいかした時代じだいでもある。このせつでは子供こども文化ぶんかとして、漫画まんが・アニメ・特撮とくさつげたい。

(一)漫画まんが

 敗戦はいせん直後ちょくご風刺漫画ふうしまんがおおえがかれ、その一方いっぽう少年しょうねんけの漫画雑誌まんがざっし漫画少年まんがしょうねん』が創刊そうかんされるが、特筆とくひつすべきは手塚治虫てづかおさむ(1928-89)の「新宝島しんたからじま」(1947)である。異例いれいのベストセラーとなった「新宝島しんたからじま」は戦後せんごのストーリー漫画まんが原点げんてんされる。手塚てづかはそのもライフワークとわれた「とり」(1954-、未完みかん)、「ブラック・ジャック」(1973-83)などを発表はっぴょうし、〈漫画まんが神様かみさま〉とばれた。

 この時期じきのストーリー漫画まんが傑作けっさくとしては、川崎かわさきのぼる(1941-)の「巨人きょじんほし」(1966-71)、ちばてつや(1939-)の「あしたのジョー」(1968-73)がげられる。これらはいわゆるスポこん漫画まんがだが、社会現象しゃかいげんしょうとさええるブームをこした。なお、2さくとも梶原一騎かじわらいっき(1936-

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87、「あしたのジョー」は高森朝雄たかもりあさお名義めいぎ)が原作げんさく担当たんとうしている。

 ギャグ漫画まんが分野ぶんやおおきな足跡そくせきのこした漫画家まんがかとしては、赤塚不二夫あかつかふじおげられる。「おそまつくん」(1962-73)、「天才てんさいバカボン」(1967-78)などのヒットさく登場とうじょうする〈イヤミ〉〈レレレのおじさん〉などのキャラクターはおおくのひとあいされ、CMなどにも使つかわれている。そのほかでは、永井豪ながいごうの「ハレンチ学園がくえん」(1968-72)、谷岡たにおかヤスジの「ヤスジのメッタメタガキ道講座どうこうざ」(1970-71)が記憶きおくのこる。いずれも過激かげき表現ひょうげんふくみ、物議ぶつぎかもした。

 また、4コマ漫画まんがは1970年代後半ねんだいこうはんから飛躍的ひやくてき作品数さくひんすうやすことになるが、この時代じだいも「フクちゃん」、「サザエさん」、「フジ三太郎さんたろう」などが新聞しんぶん連載れんさいされている。

(二)テレビアニメ

 最初さいしょのテレビアニメは「あたらしい動画どうが3つのはなし」(1960)とされているが、やはりのちのアニメへの影響えいきょうおおきさからって、まずげなければならないのは「鉄腕てつわんアトム」(1963-66、原作げんさく手塚治虫てづかおさむ)である。少年しょうねんロボット、アトムの活躍かつやくえがいたこのアニメは、平均視聴率へいきんしちょうりつ30%をえるだいヒットとなった。これにつづいて「エイトマン」、「鉄人てつじん28ごう」、「W3(ワンダースリー)」、「宇宙うちゅうエース」などのSFアニメが60年代ねんだいには放映ほうえいされている。一方いっぽう国民的こくみんてきアニメとわれる「サザエさん」(1969-、原作げんさく長谷川町子はせがわまちこ)、「ドラえもん」(1973-、原作げんさく藤子不二雄ふじこふじお)もこの時代じだいはじめてアニメされた。

(三)特撮とくさつ

 この時代じだい子供こどもこころとらえた番組ばんぐみとしてわすれてはならないのは、「月光仮面げっこうかめん」(1958-59)、「ウルトラシリーズ」(1966-)、「仮面かめんライダーシリーズ」(1971-)だが、これらはすべ特撮とくさつ作品さくひんである。「ウルトラ」と「仮面かめんライダー」の2シリーズは、現在げんざい継続中けいぞくちゅうであり、「スーパー戦隊せんたいシリーズ」「メタルヒーローシリーズ」とならぶ、代表的だいひょうてき特撮とくさつ番組ばんぐみとしていま人気にんきたかい。

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第五節だいごせつ 文学ぶんがく

 まず、いわゆる〈純文学じゅんぶんがく〉のながれをざっとしめしておくと、戦後派せんごはつづく〈第三だいさん新人しんじん〉が1950年代ねんだい前半ぜんはん登場とうじょう後半こうはんには石原慎太郎いしはらしんたろう(1932-)、大江健三郎おおえけんざぶろう(1935-)などが芥川賞あくたがわしょうけ、マスコミでおおきくげられる。1960年代ねんだいに、有吉佐和子ありよしさわこ(1931-84)、野上弥生子のがみやえこ(1885-1985)、倉橋由美子くらはしゆみこ(1935-2005)、大庭おおばみな子(1930-2007)ら女性作家じょせいさっか活躍かつやく目立めだつようになり、後半こうはんにはいわゆる〈内向ないこう世代せだい〉が登場とうじょうする。しかし、この昭和しょうわ中期ちゅうきは、中間小説ちゅうかんしょうせつという言葉ことばしめすとおり、純文学じゅんぶんがく大衆小説たいしゅうしょうせつ境界きょうかいがますます不分明ふぶんめいになっていった時代じだいでもある。以下いかではこの中間小説ちゅうかんしょうせつ大衆小説たいしゅうしょうせつかい動向どうこう推理小説すいりしょうせつ歴史小説れきししょうせつ・SFにけてべる。

推理小説すいりしょうせつ 戦争中せんそうちゅう欧米臭おうべいくさつよいなどの理由りゆう沈滞ちんたい余儀よぎなくされた推理小説界すいりしょうせつかいであったが、横溝正史よこみぞせいし(1902-81)の「本陣殺人事件ほんじんさつじんじけん」(1948)、高木彬光たかぎあきみつ(1920-95)の「刺青しせい殺人事件さつじんじけん」(1948)、坂口安吾さかぐちあんご(1906-55)の「不連続殺人事件ふれんぞくさつじんじけん」(1947-48)などによりふたた活性化かっせいかした。そして、「てんせん」(1957-58)をはじめとする一連いちれんのヒットさくにより松本清張まつもとせいちょう(1909-92)ブームがこって、社会派推理小説しゃかいはすいりしょうせつ一世いっせい風靡ふうびする。水上勉みずかみつとむ(1919-2004)の「飢餓海峡きがかいきょう」(1962)、森村誠一もりむらせいいち(1933-)の「高層こうそう死角しかく」(1969)などがこれにふくまれる。

歴史小説れきししょうせつ時代小説じだいしょうせつ この時代じだい歴史小説れきししょうせつとしてまずあげられるのが、1950ねんから67ねんまで長期連載ちょうきれんさいされた山岡荘八やまおかそうはち(1907-78)の「徳川家康とくがわいえやす」である。この作品さくひんはそれまでの家康いえやすのイメージを払拭ふっしょくし、家康いえやすブームをこした。また、「宮本武蔵みやもとむさし」でられる吉川英治よしかわえいじ(1892-1962)の「しん平家物語へいけものがたり」(1950-57)、いま人気にんきたか司馬遼太郎しばりょうたろう(1923-96)の「竜馬りょうまがゆく」(1962-66)などがこの時代じだいおおくの人々ひとびと好評こうひょうをもってむかえられた。

SF SFとは、空想的くうそうてき世界せかい科学的知識かがくてきちしきもとづいてえが文学ぶんがくのジャンルである。日本にほんのSFは、同人誌どうじんし宇宙塵うちゅうじん』、専門誌せんもんし『S-Fマガジン』の創刊そうかん日本にほんSF大会たいかい初開催はつかいさいなどにより、1960ねん前後ぜんごから本格化ほんかくか

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する。この『S-Fマガジン』のSFコンテストに入選にゅうせんした作家さっかには小松左京こまつさきょう(1931-)、筒井康隆つついやすたか(1934-)がおり、この二人ふたりと『宇宙塵うちゅうじん』の創刊そうかん参画さんかくした星新一ほししんいち(1926-97)をわせて、〈SF御三家ごさんけ〉とぶ。星新一ほししんいちは「ボッコちゃん」(1958)に代表だいひょうされるショートショートの名手めいしゅとして、筒井康隆つついやすたかかえ映像化えいぞうかされている「ときをかける少女しょうじょ」の原作者げんさくしゃとしてられ、小松左京こまつさきょうは「日本沈没にほんちんぼつ」の映画化えいがか(1973)がおおきな話題わだいとなった。こののち、アニメ「宇宙戦艦うちゅうせんかんヤマト」(1977)のヒットなどもあってSFは一般いっぱん浸透しんとうしていくことになる。

文責ぶんせき横路明夫よこじあきお

確認かくにんしてみよう】

一、つぎ文章ぶんしょうみ、ただしいものを下記かきからひとえらびなさい。

  1. 黒澤明くろさわあきら監督かんとく映画えいがによって国際的こくさいてき名優めいゆうとなったのは、(a. 小津安二郎おづやすじろう b. 三船敏郎みふねとしろう c. 石原裕次郎いしはらゆうじろう)である。
  2. 制作者せいさくしゃ青春せいしゅんドラマと刑事けいじドラマのミックスを意図いとした作品さくひんは、(a. 特捜機動捜査隊とくそうきどうそうさたい b. キイハンター c. 太陽たいようにほえろ)である。
  3. オーディション番組ばんぐみ『スター誕生たんじょう』からデビューし、人気絶頂にんきぜっちょう時期じき突然とつぜん引退いんたいしたため、伝説でんせつのアイドルとわれるのは、(a. 美空みそらひばり b. 天地真理あまちまり c. 山口百恵やまぐちももえ)である。
  4. ストーリー漫画まんが原点げんてんわれるのは手塚治虫てづかおさむの(a. 新宝島しんたからじま b. 鉄腕てつわんアトム c. とり)である。
  5. 社会派推理小説しゃかいはすいりしょうせつブームがきるきっかけになった作品さくひんは、(松本清張まつもとせいちょうの a. 不連続殺人事件ふれんぞくさつじんじけん b. 本陣殺人事件ほんじんさつじんじけん c. てんせん)である。

二、つぎ文章ぶんしょうみ、空欄くうらん適切てきせつ言葉ことばれなさい。

  1. 日本映画にほんえいが特色とくしょくひとつとなっている特撮怪獣映画とくさつかいじゅうえいが最初さいしょ作品さくひんは(  )である。

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  1. 1960年代ねんだいのテレビドラマ『七人しちにんまご』は脚本家きゃくほんか(  )の出世作しゅっせさくとなった。
  2. アメリカで『SUKIYAKI』のタイトルで発売はつばいされ、ビルボード週間しゅうかんランキングでだい1獲得かくとくしたのは、坂本九さかもときゅううたった(  )である。
  3. 当時とうじとしては過激かげきせい暴力描写ぼうりょくびょうしゃをPTAなどからはげしく批判ひはんされた漫画まんが永井豪ながいごうの(  )である。
  4. SF作品さくひん第四間氷期だいしかんぴょうき』をいた安部公房あべこうぼうは、『日本沈没にほんちんぼつ』の作者さくしゃの(  )に影響えいきょうあたえている。

三、つぎ文章ぶんしょうみ、設問せつもんこたえなさい。

  1. 国際映画祭こくさいえいがさいしょう獲得かくとくすることの意味いみかんがえてみましょう。
  2. どうして映画えいがはテレビの普及ふきゅうとともに低迷ていめいしたか、かんがえてみましょう。
  3. フォークソングが1960年代後半ねんだいこうはん若者わかものから熱狂的ねっきょうてき支持しじ理由りゆうなにですか。
  4. アニメ『鉄腕てつわんアトム』は漫画まんが原作げんさくです。あなたはアニメと漫画まんがのどちらをてみたいですか。
  5. SFとは、どのような文学ぶんがくのジャンルですか。

参考文献さんこうぶんけん

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